私は京都に住んでいる。素晴らしい町に違いない。歴史深くて、文化的な建物が多くて、桜が綺麗で、まして優しい京都人で、一日中に褒めることができる。ここに引っ越して来て嬉しい。
英語学校の仕事で、沢山京都人と話し合ってできる。一人ひとりが、それぞれ独自の日本像を体現している。仲良くした生徒と話せる機会を楽しめない仕事日はない。
そして、これを気づいた。京都人の一番好きな趣味は観光客について文句そをするかもしれない。
とても分かるよ。私もよくそうする。京都が他の都市より、「都市」ではなくて「大きい町」のように見なしなくてではないか。道が狭いから、混みやすい。だから、大勢の観光客が桜を花見するのために来る時、この繊細な町は、あちこちに急いで走って大型リュックサックを持つ人でいっぱいにされる。
京都政府は税と料金で制限してみてきたが、そのような単純な方法は無効だと思う。
当然、市民は自分の生活が邪魔されるようになってしまったから、よく文句を言う。でも、私と絵会話クラスでそうすると、「foreigner」という言葉を使う。「外国人」という意味だ。
でも、問題は、日本にそのラベルで私が与えられっている。私もその問題のか。ここに住んだり、税を払ったり、年金を払ったり、言語を学んだり、日本の習慣に通して行ったりすることにもかかわらず、私はまだただの「foreigner」か。
そうではないと思っているが、言葉は大事だよ。言葉は力を持つ。だから、私たちはどちらの言葉を選ぶによって、幸福か苦難をさせることができる。
SNSで、ある特定の否定的なタイプの日本人は「外国人は日本に合わせようとしない」という嘘をよく言う。移民の外国人は主に本当に合ってみる。政府が十分な受験枠を提供できていないにもかかわらず、毎年「日本語能力試験」(JLPT)の受験者数は増加している。いつも完璧に行うわけではないが、多くの人は頑張っていることが毎日見える。
ここに住まなくてはいけないわけがない、でも住む。世界のいろいろな国の中に、この国を選んだ。大好きだから。数え切れないほどの障壁を乗り越えて戦って、引っ越すのために沢山お金を払って、やっとここに暮らされるようになった。「外」という感じをしない。「内」にいる感じだ。
それにもかかわらず、「foreigner」と呼ぶのか?辛い。諦めたいほどに苦しむよ。
もし本当に日本に住む外国に生まれた人々に同化してほしいと願うなら、まずは観光客と在住外国人を区別することから始めてください。英会話クラスで、「foreigner」の代わりに「foreign tourist」を言ってください。日本語では、「外国人」の代わりに、「在住外国人」と「外国人観光客」言ったほうがいいかもしれない。
または、いつか、移民に与えた「『外』国人」というラベルの問題も話し合おう。


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